2011年4月22日金曜日

お国訛り

この3月下旬から、20日間ほどのお付き合いでしたが、震災で福島から避難して来た方の支援をさせて頂きました。当病院の訪問看護を利用してもらったのですが、ご本人・ご家族はもちろん、電話先の福島の担当ケアマネも、市役所の職員さんも、皆、ゆったりとした福島弁。語尾がやんわりと上がり下がりするのです。

私も、新潟は南魚沼産のケアマネですので、福島の方々の何とも言えないお国訛りを聞いて、望郷の念に駆られてしまいました。
普段は、ごく当たり前の標準語で話しているつもりの私ですが、故郷の駅に着いたとたん、りっぱな新潟弁になるのです。
「今、駅に着いたがぁて。バス停で待ってるすけ、迎えに来てね」などと話してしまうのです。

また、私の父は、今の私と変わらない歳で逝ってしまったのですが、幼い頃、末っ子の私は、父の膝の上が大好きで、話し上手な父から聞く「桃太郎」や「かちかち山」などの昔話が、いつまで経っても忘れられません。
「むか~し昔、あったがぁ~と」から始まる、方言100%の話は、それはそれはおもしろかったのですから。
時々思い出しては、思いっきり方言丸出しで話したくなる時は、新潟の姉に電話をしてしまいます。

とは言いつつも、道産子歴も長くなり、田舎で「ゴミなげて」「手袋はいて」などと、北海道弁を使っては「なにそれ!」と失笑されることもありますが・・・・。
東京に住む息子には至っては、「母さん、大晦日におせちが出ないなんておかしいっしょ!」と。
結婚して初めての大晦日に、嫁と大バトルを展開してしまったのだと。
嫁からは「大晦日におせちを出さなかったと言って怒るんですよ!おせちは元旦に出す物ですよね!」と。
今では、嫁も北海道の習慣に合わせて、大晦日におせちを出してくれるようになったそうですが、息子は、これからも北海道らしさを大事にして暮らすのだと宣っています。娘の名前にも北海道の中から一字取って付けてしまいました。

話しは戻りますが、その後、戻られた福島の方々から、お礼の電話を頂きました。娘さんは「余震で揺れて揺れてばっかりだけど、やっぱり自分の家が一番いいわぁ」と。
向こうのケアマネさんからは、「大変ですが、私達はここを動けませんから。ずっとずっと頑張ります!居続けます!」と。

震災に遭われた皆様が、大切にしている故郷でいつものように暮らせますように、心から願っています。

居宅でも、また、震災で来旭してくる方がおり、受け入れのため係長が熱心に調整に走り回っています。どんな、お国訛りを携えてこられるかは分かりませんが、暖かくお迎えしたいと思います。
                             ケアマネ・長女